千田好夫サロン


支えあいの関係と人権

1,今日のテーマ
 私は赤ん坊の時に小児マヒという病気にかかりました。インフルエンザのように伝染する病気で、たくさんの子どもが死にました。生き残っても私のように後遺症が残りました。一九六〇年ぐらいからワクチンができてそれから小児マヒにかかる人は激減しました。だから、私は消えゆく障害者の1人ということになります。常には松葉杖を使用していますが、このごろ足が痛くなってきたのでときどき車いすも使います。それから私のつれあいも車いすを使っています。彼女の方が私より障害の程度が重いです。娘が一人いますが、今のところ障害はないようです。
 私は仕事の他に、障害があってもなくても一緒に生きていける社会をつくるための活動をいろいろしています。品川ではアーテム企画という知的障害者を中心とした自立のための会もやっています。そこで、今何をやっているかと言うと、職業訓練とかそういうことをやるんではなくて、自分で買い物をして、炊事をして、食事をして、かたづけて、お風呂をたてて自分でお風呂に入って寝るとそういうことをやってます。つまりアパートの独り暮らしを想定してるんですね。これを始めたときは、働くということを考えていたんですけど、だんだん働くということよりも、日々んの生活をどうするかということの方にに重点を置いていったんですね。それはどういうことかというとですね、毎日の生活で食べて寝るということが基本的なものですから、もし働けない障害者がいたら無理して働くことはない、それよりも働けるかどうかはその障害者とその人を取り巻く関係によるわけですから、どうやって毎日を暮らしていくかという方に重点が移っていったんです。それでいま六人の知的障害を持っている方が、ここで自立体験をしています。
 それで、障害者が生きていく上でいろいろ問題があって、自分だけではなかなかいろんなことができないわけですね。私はかろうじてここに立っていられるわけですけど、さっきいったように車いすに乗ったら自分の行動がよけい制限されるので、皆さんのような若い力も借りたりして、あちこち行く時には手助けが必要になります。このことについてどう考えるかというのが今日のテーマなんですね。
2,与えることと支えあうということ
 さっき皆さんが来る前に黒板に私が漫画を描いておきました。ひどいへたな漫画です。これは私が作った話ではなくて、シルバスタインという人が描いた絵本なんですけど、『与える』という童話です。一番から六番まで話がありますけれども、一番はりんごの木が野原にはえていたんですね、まだ若い木で小さいのが。子どもが来て遊んでいると、登場人物はこの木と子どもしかいないんですけども、この子どもはどんどん大きくなっていく、この木も大きくなっていくわけですね、木もある程度大きくなってきて、子どもが木の回りで遊んでいる。しかし、さっき言ったように自分で自立するころになって、ちょっとお金が必要になるわけですね。お金が必要になって、りんごの木からりんごの実をちょうだいするわけですね。りんごの実をもらって売りに行く。で、その次はお家を建てる歳になって、お家を建てるのでりんごの木さん枝をくださいと枝をもらっていく。その次に、若干仕事がうまく行き出したので、あちこち物を売りに行くので船が必要になった。で、りんごの木さん船が必要なのであなたの体をくださいというわけですね。どうぞもってってくださいというんで木を切って行きます。こうやって仕事をしてだんだん歳をとってですね、少年も老人になって疲れてしまって、帰ってきて、りんごの木さん、ちょっと座らせて下さい、というと、どうぞどうぞと切り株だけになったりんごの木は座ってもらって幸せだった、と。こういう話なんです。これで大体話の筋はわかりましたか。で、これは木が子どもに一方的にものを与え続ける、だから『与える』という題になっているんですね。
 この話を何か国語かに訳して、いろんな国の子ども達から、子どもといっても十歳前後だと思うんですけども、ま、場所によっては二十歳くらいの人もいるでしょう。ある本に出てたんですけども、アンケートをとったんですね、この木と子どもの関係についてどう思うか。で、子どもについてはですね、日本、韓国、フィンランドとかドイツとか、どの国も例外なくこの子どもは良くない、もらってばかりいるという感想なんですね。では木の方についてはどうかというと、いろんな意見がありました。その国の宗教によって、例えば神様がいると、神様というのは人間にいろいろ与えてくれるものだと、だからこの木は神様のことじゃないかと。あるいは子どもにとってのお母さんのことじゃないか。割と肯定的な意見が多かったようですね。ところが日本の子どもは、どういう感想だったかというとですね、この木は本当はいやだったんだけども、与え続けないとこの子が来なくなってしまう、だから与え続けたんではないかというふうに答えたというんですね。皆さんどう思いますか。正しい答というのはないんだけどね、どういう答でも僕はいいと思うんですけども。
 これは象徴的な話なんですけども、こういうことについて、普通はみなさんよりずっとちっちゃい子どもだとこの子どもを許せなくなってくるんですね。この子どもは非常にけしからん。関係というのを一方的にしか見られないもんですから、与えられ続けるということについて非常にマイナスイメージを持ちます。これが私は、こういうふうに単純化するとどうかと思うんですけど、障害者と健常者の関係を表しているかなと思うんですね。これは木と少年が一方的に与える、与えられるということじゃなくて、お互いに必要だったと言うふうに、だんだん年齢が高くなるにつれて思っていくような、二十歳位の人の意見がそうですね、そういう意見が文化を越えて多くなっていくんです。
 これを支えあいの関係というんですけれども、これがなぜ支えあいになるかというと、かなり時間がかからないとわからないと思うんですね。例えば赤ん坊とお母さんの関係だと、お母さんは一方的に与えるように見えるんだけども、実は赤ん坊からもいろいろ与えられている。お母さんだけでなくてお父さんもそうです。私も子どもを育てた経験からすると、子どもからいろいろ教わったことが非常に多かった。それをわかっていくにはちょっと時間が必要なんですね。
 しかし今の世の中は、時間をくれないんですね。今日は二月十五日で、昨日はバレンタインだったんですけど、私も義理チョコを三つもらいました。プレゼントをすることはどういうことかというと、あなたを愛してるとか好きであるとか別に何でもないけどあげるとか、いろんな意味があると思うんですけども、しかし、それをプレゼントという形で表すというのは、どういうことなのかなとみなさん考えたことありますか。
 バレンタインでなくてもクリスマスでもいいんですね。サンタクロースというのは本当にいるんだろうかという話がある。小さい時皆さん考えたことありますか。サンタクロースがいるかどうかという話をあるアメリカの女の子が新聞社に聞いたんですね。これは有名な話です。絵本にもなってます。絵本を読むのが好きで、そこからいろいろ考えるんですけども、その中に、新聞社の人はその女の子の質問に対して、答を書いてるんですね。もちろんサンタクロースはいないわけですけども、簡単にいないといっていいもんだろうかと、その新聞記者は考えたんですね。もしサンタがいなかったら何とこの世の中味気ないんでしょうと記者は答えるんですね。女の子はそれに対して返事は書いてないんですけども、結局それが虚構だっていうことがわかるわけですね。やっぱりサンタはいないと思うわけですよ。しかしそのサンタからプレゼントをもらってるのは、実はお父さんやお母さんがプレゼントをくれてるんだということが、だんだんわかるようになる。そういうことを通して、子どもっていうのは人を愛するということはどういうことかとか、逆に、プレゼントをもらうもらわないじゃなくて、人を憎むとか自分が何か悪いことをしたとか、ちょっとまずかったとか、そういう気持ちを反省するんですね、だんだんと。ところが現在の社会というのはゆっくりとした価値を保証しなくて自分の気持ちを表すことがなかなか難しくなってくる、そういうことなんで今から話をする障害者の介護者をいれた生活がだんだん難しくなってきているなというふうに思うんです。
3,介護することとされること
 それでまず私のうちの話をしますと、つれあいはさっきも言ったように車いすに乗っています。子どもが一人いますが、最近は少し大きくなって役に立つこともありますが、つい最近までほとんどうちのことは何もしなかったです。私は、車いすに乗っているつれあいのことを介護できないですね。自分も介護が欲しいところですから。そうすると、もう一七、八年ぐらい前から一緒になっているんですけど、その当初はですね、まだ若かったから、自分の友達を集めて生活をする。例えば、お風呂に入る、トイレに行く、炊事をする、そういうことを、ま、日常のこもごもとしたこと、それから学校へ行く、彼女は翻訳の学校へ行ってたんでそこへ行く、というようなことで友達に依頼をしなければいけない。しかしその依頼をするという関係はですね、ともすると一方的に与えられるという関係に見えてしまうんですね。見えてしまうし、やる方もそう思えてしまう。そこをどう変えていくかということを自分たちとしてやってきたつもりすね。
 そのために介護者会議というものを一か月に一回開いてました。今はやってませんが、そのころは、介護にかかっている人が大体二十人程いましたので、毎回全員が来るとは限らなかったですが、まあ、一回に十人ぐらい来てですね、私の家で、いろんな会議をして、主に話すことは、何月何日どこどこに行くので、誰かいないだろうか、あるいは、この日は誰も家に来ることになっていないので、誰かいませんかと、事務的な打ち合わせから、どっか遊びに行こうとか、それからそういう話ばかりではつまらないので、何か一緒に本を読もうとか、そういう話をしてきました。
 で、だんだんそれが回数が少なくなってきて、ついに今やらなくなったんですけども、別にそれ自体悪いことではないと思いますが、なぜそれがなくなってきたかといいますとね、私たちの子どもが大きくなってきて、ということはですね、私たちの友達も家庭があって子どもも大きくなってくる。それから仕事も責任が大きくなっていくとなるとだんだん足が遠くなってくる。それからこれは重要なことなんですけど、介護する人は、近所の人よりも、割と遠くの人が多いんですね、隣近所の人が一緒に風呂に入るとか、一緒にトイレに行くとかそういうことが逆になかなかできないんです。それは皆さんも近所の関係を考えればわかると思うんですけど、なかなか隣近所の人とそういう関係には近すぎて入れないんですね。それは都市化の事情でしょうがないと思うんですけど、となりに住んでいる人はまったくの他人という、まあ誰でも他人ですけども、まったくの他人で、昨日越してきた人もあるし、十年前からいる人もいるけれども、だからといってお友達ではないんです。このような人間関係は割と一般的ですよね。でも友達というのは、例えばここにいる人たちはたまたま皆さんこの教室にいるけれども、住まいはあちこちにありますよね。住まいはあちこちにあるけれども、誰かが困ってるとか、誰かがこういうことやろうという時には、行くわけです。そういう人は遠くからやって来る。 介護者も同じですね、遠くからやって来る。ですからだんだん自分の家も仕事も大変になってくると、やりきれなくなっていく。介護に来られる人が少なくなってきて、会議を持つ意味があまりなくなってきたんですね。
 そしてそれと並行して、行政の方で、東京都がいろいろ介護について費用を出すようになってきたんです。これは我々の先輩が、いろいろ血のにじむような努力をして、いろんなことにお金を出すようにしてきました。それをやって来たんですね。例えば介護者が、私の家に来ると一回、今いくらかな、確か一時間あたり千円くらいだったと思うんですけども、それくらいのお金が出てるんですね。それは他人介護派遣といって、自分の身の回りのことがむずかしい障害者対して東京都がお金を出すんですよ。で、これは、例えば私には出ないんですね。私には出ないんですけども、私の彼女の方には出る。そういう制度が充実してきたので、介護者がだんだん友達の関係から、お金を払ってきてもらう関係にだんだん変わってきて、今ほぼ九十パーセントぐらいそういう関係になってるんですね。有料であれば、来るべき日にちは確定しやすいので、ここからも会議の意味があまりなくなってきました。
 それがいいか悪いかということになるとですね、自分の感想としては、変わりがないというふうに思うんです。変わりがないということはどういうことかというと、人はお金をもらって来ようと、自分の銭で、あるいは友達だからということでやっても、やることは同じで、やらなければならないことも同じなんですね。しかし、たんにお金をもらうだけだったら、どっか割のいい仕事たくさんあるでしょ、別に障害者の家に行って仕事しなくても。ま、たくさんくれるところある。いまどうかな、例えば時給で八百円とか九百円とか千円とか、もっといいところもある。そういう仕事にみんな行ってしまうんですね。だけども、例えば介護に来るというのは、私たちと友達だから来てくれるわけですね。そうすると、一方的に与えるということじゃなくてお互いの関係ということを考えざるを得ない。考えざるを得ないというよりも、自分たちがそういう人たちとつき合っているということについて、よく考えて行くようになっていくわけですね。
4,障害とは何か
 じゃ、どういうことを考えるようになってきたかということを話しますけども、私たちの障害とは何かという、自分の障害というのは、例えば皆さんの目に見えるように、私は歩けない、歩けないことが障害か。直接的にはそうですね、歩けないことが障害であるわけですけども、しかしそれは不便なように見えるし、実際不便なんだけれども、私ここまで車で、自分の車を運転して来ました。そこに私の車が停めてあります。車を運転するというのは、車を運転していることによって、自分は大分世界が広がったんですけども、広がったことがどういうことかと考えてみた時に、私が歩けなくて不自由に見えるのは、社会の構造がそういうふうになっているからだといま思うんですね。もし私が江戸時代に生まれていれば、あるいは戦前とか明治時代に生まれていればそういうことはできなかったわけですよね。ごく最近でも、例えば一九六五年より前だとかなり難しかったろうと思うんです。
 しかし世の中にはそういう考えだけではないんですね。そういうのというのは、世の中の仕組みを変えたり、人の手や器具や何かで補って不自由なことの範囲を狭めていけば自由が増えると考えることですけれど、そういうふうに考えるのじゃなくて、障害は個性であるとかあるいは文化であると考える人もいます。障害が個性であるというのはどういうことかといいますと、例えば私は歩けない、あなたは歩ける、こちらの人は目が見えない、あちらの人は目が見える、私は目が見える、常にひとりひとり分けていくと私が歩けないというのは私の個性であると言うことになるんですけども、その個性というのはいったい何のことだろうと、例えば歩けない障害者、見たところここには私一人しかいないんですけども、ここにもう一人か二人いたらですね、歩けないのが三人ぐらいいて、全部同じ個性だったら変ですよね。私はそれはもうそれで障害というのを説明しないのがいいと思っているんですね。
 もう一つは文化であるという考え方もあるんです。私は歩けないという障害を持ってて、皆さんとは違う生活をしている。違う生活をしていることは私の文化である。そういうことを強く主張しているのはろうの人たちですね。耳の聞こえない人たちがそうですね。耳の聞こえない人たちは、自分たちは障害者ではないといっているですね。私たちはひとつの民族である。言葉の表現が違うだけで、つまり口でしゃべらない、しゃべれないだけで、手でしゃべっているんですね。手話っていうの知ってますよね、あの手話で自分たちはコミュニケーションしている。コミュニケーションレベルにおいては、口でしゃべろうと手でしゃべろうと同じだという、そういう考え方があるんですね。それはそれで私は成り立つとは思うんですけど、だから障害者じゃないというのはなんかへんだなと思うんです。そういう主張、とにかくあるんです。もしこれが文化だということになるとですね、私の文化とあなたたちの文化とは違うと主張しているわけですね。それは違うということを際立たせているだけで、それだけでは何か、さっき介護をめぐって話してきたことが見えなくなってくるんですね。むしろそれは違うのではないかと思っています。
 それから、障害というのは能力の欠陥だという考え方があるんですね。能力の欠陥というのは例えば、歩けない、耳が聞こえない、目が見えない、何々ができないというふうに考えていくとですね、そういうのを能力と考えると、何々ができないというのは欠陥でありますから、障害というのはその人の能力の欠陥であると考えるとですね、それをその人に合わせて世の中の制度や不便を改善しようと、例えば、私はここまで車で来ましたけれども、車で来れるようにしよう、車いすに乗れない人は乗れるようにしよう、自分は小学校までは手に下駄を履いて四つんばいであちこち歩き回っていたもんですから、それじゃ社会生活ができないので松葉杖にしたんですね、かなり自分で訓練しました。神社の階段登り降りとかをやってですね、歩けるようにしたんですね。また、さっきいったように車に乗れば来れるし、階段だってエレベーターがあれば登れるわけですね。能力の欠陥だと決めてしまうと、極端に言うとですね、そういう世の中の制度や不便の改善の仕方を考えなくなってしまう。どういうことかというと、最近は技術が進歩して優秀な人間の卵子や精子を取っといてあとで合体して優秀な人間をつくろうとか、それから優秀なロボットを作って障害者とか老人とか、健常者でもろくに働かない人とかを優秀なロボットにとっかえてしまおうというそういう話にどんどんつながっていくんですね。私は能力というのは、そういう考え方ではまずいなと思っています。
 結局、何が障害か障害じゃないかということはですね、障害者が不便に見えるのは社会の方がそういうふうにしているんだと考えなければいけない。一人一人の関係が自由不自由を決めているんだというふうに考えないとだめだ。障害が不自由というのは社会の方がそうしているんだ。私が自立体験ルームをやっているのは、あれができないから、これができないから、これができるようになるようにしよう、あれができるようになるようにしよう、とやっているんではないんですね。例えば炊事洗濯、お風呂を立てるとか、そういうことはできなくてもいいんです。ただ生活の流れとして、知っていなければならないということなんですね。身につけなければいけない。できなければできないなりに身につけるようにする。それは何か機械をいれてできるようにするのでもよし、友達や介護者と一緒にやってできるようになるんでも構わない。そういうことを自分で組み立てられるようにならなければいけないということなんです。それを介護者の方も知らねばならない。たまたま自分のできることで介護しているだけで、できないことではむしろ障害者に学ばなければならない。そういうふうにお互いに尊重しあう。それで自立体験ルームというのをやってるし、やっていきたいんです。もし障害が個性であるとか、文化であるとか、能力の欠陥であるとかいうふうにしてしまうと、そういうふうなことはなかなかしにくいんじゃないかなと普段考えています。
5,新しい共同性、公共性
 それで、サンタクロースとか、ああいった話をしたんですけども、私がここでいいたいのは、新しい考え方というのかな、そういう考え方というのをこの社会の中で作っていきたいと思っているからなんですね。言ってしまうと、新しい共同性というか、新しい公共性というか、そういうものを作れたらいいなというふうに思うんですね。
 皆さんは公共性というのをどう考えますか。公共性というのはですね、例えば公園に行ったらゴミを捨てないと、掃除をするとかですね、学校では廊下を走ってはいけないとか、そういう規則を思い浮かべるかもしれないけれども、私は公共性というのは、お金とか労力で規定されない関係だというふうに思うんですね。例えばお母さんが子どもを育てるのは、育てた子どもから何かを期待しているからではありませんよね。それから、障害者と健常者が向き合う時に、先程言ったようにできるできないというふうに考えてしまうと行きづまりになってしまうので、そうではなくてお互いに必要な関係だというふうにわかっていくためには、自分たちの生活を変えていかなければいけない、あるいは考え方を変えていかなければいけない、と思うんですね。
 たとえば、勉強を教わって何かができるようになることばかりが学校だというふうに思っているかも知れないけども、そうじゃなくて、たとえばここで皆さんががやがやと人の話を聞いたり聞いてなかったり、そういう関係もひとつの勉強だというふうに思っているんですね。数学ができる、英語ができる、あるいは百メートルを何秒で走れる、それもひとつの能力である。でも私は能力とはそういうふうに限られていないと思うんです。自分の生活を自分で組み立てられることが自分の能力だというふうに私は考えるんですね。自分で組み立てるということはどういうことかというと、自分でできないことがあっても、いろんな工夫をしてできるようにしていく、そういう組み立てる力をつけていくことなんですね。憲法二十六条には、能力に応じて等しく教育を受ける権利があると書いてあるんですね。これを狭い意味での能力ととってしまうと、行きづまってしまいます。(休憩)
6,リーダーシップとはなにか
 さて、私のやっている活動でフットルースというのがあります。これは、正式名称を、障害者交際交換プログラム・フットルースというんですが、アメリカの障害者団体MIUSA(モビリティインターナショナルUSA)と毎年交流しています。どういうことをしているのかというと、リーダシッププログラムというのをやっています。これはですね、たとえば参加者のグループを二つに分けてですね。片方はしゃべっていいグループ、片方はしゃべってはいけないグループと分けるんですね。その間で共同作業をするということをやるんですね。そうすると、いかにコミュニケーションが大事かということを学んでいくわけですね。そういうふうにリーダーシップを学んでいくことがなぜ大事かというとですね、必ずしも何かのリーダーをやるということではなくて、それは自分の生活を切り開いていくことに結びついてくるんですね。いろんなゲームなんかをやって、言葉ではなくて身をもって体験していくわけです。そういうプログラムをやってやっています。日本でもそれをやっています。この冊子は九六年の報告ですけど、九七年はまたアメリカに行って、九八年はアメリカから日本に来ました。で九九年、つまり去年は、また日本からアメリカに行きました。で、今年はおそらくアメリカから来ることになると思います。
 で、アメリカに行くとですね、リフトバスというのがあります。リフトバスというのは車いすに乗ったままバスに乗れるんですけど、そういうのが日本ではまだ数える程しかないんですけども、アメリカに、アメリカといっても全部じゃないんですけど、オレゴン州というところでは少なくとも全部のバスが、そういうバスになっていました。特に障害者用とはうたってないんですね。うたってはないんですけど、バス停に着くと車いすの乗客がいればリフトが降りてきて、それに車いすがのるとリフトが上がって、車いすが中にはいります。中には車いす二台分のスペースがあります。その間、日本だったら多分早くしろという文句が出ると思うんですけど、誰も文句は言わないし、にこにことして、手伝ったりしてるんですね。何かすごくいいなと思ったんですね。
 アメリカやヨーロッパですと人権というか人権感覚というのか、がかなり進んでいるので、向こう行くとすごくびっくりしたり、圧倒されることばっかりなんですね。そういう話を日本に帰っ来てやりますと、アメリカではこうだった、ヨーロッパではこうだった「出羽の守(かみ)」みたいに言われてしまうんですけども、でも、ほんとにずいぶん違うんですね。ぼくが障害者だからそう思ったんじゃなくて、健常者でも、障害がない人でもそう思うらしいんですね。
7,アマチュアリズムと人権
 それはどういうところに違いがあるのかと考えた時に、アマチュアリズムの違いではないかなと思うんですよね。アマチュアリズムというのは、皆さんどういうことかわかりますか。プロではないということですね、アマチュアということは。例えば剣道やる時に黒帯以上の人じゃないと剣道しちゃいかんと。そうなったらちょっと剣道する気なくなっちゃいますよね。それから絵を描く時にですね、すごく絵のうまい人、展覧会で入賞するような人じゃないと絵を描いちゃいけないとするとすごく窮屈ですよね。英語だって百点取るような人じゃないと英語しゃべっちゃいけないとこれも窮屈です。しかし、アマチュアリズムの尊重というのは、そういうんじゃなくて、したい人はしていいんだ、例えば向こうでは乗馬なんかすごく盛んですから、障害者も乗馬をしたい、乗馬をするのは我々の権利だということなんですね。私は最初それを聞いて自分自身乗馬に興味がなかったもんですから、権利だと聞いた時ちょっとびっくりしたんですね。なぜなら日本では、障害者の権利どころか、一般のあなたたちも多分乗馬なんてほとんどやったことないと思うんだけども、向こうでは一般の市民生活の中に乗馬というものがあるんですね。みんながやることは俺たちもやるんだ、それが障害者の権利なんだ、ということなんですね。しかし日本ではそういう意見が尊重されない、なぜならば、健常者自身も、障害を持ってない人自身も、アマチュアとして尊重されてないんですね。日本では草野球とか、草相撲とかいいますけれども、そういうことのできるのは野球と相撲ぐらいなもの、近ごろではサッカーも入るでしょうけど。アマチュアというのは日本ではうまくできて当たり前、中途半端な人はだめ、そういう価値観があると思うんですね。
 そうじゃなくて下手でも良いんじゃないか、楽しければ。これが人権じゃないかなと思うんです。障害者があれがしたいこれがしたいと思った時に、みんなができないんだからあんたもしてはいけないんだという、だめなんだと言われてしまうし思ってしまうし、私が高校出た時に、働こうということを思いつかなかったのは、自分以外の障害者が働くところを見てなかったからなんですね。そうなると当たり前にしておかなければならない、それには、うまくできなくてもやっていいんだ、それが人間の権利なんだということを認めていくことが、私はそれが重要だと思うんです。
 それで、日本でなぜアマチュアリズムが発達しなかったというとですね、これは僕が思いついたんですけど、宮本武蔵という強い人が昔いたんですね、その人が、『五輪書』というのを書いているんです。この中味は、どういうことを書いているかというとですね、剣法というのは、人を殺すためにあるんだ、あるいは勝負は勝つためにあるんだ、勝たなければ意味がないんだ、というんですね。宮本武蔵の時代がどういう時代であったかというと、戦国時代が終わってだんだん世の中が安定してくる、そういう時代なんですね。そうなると、昔剣で強かった人たちもやることがなくなったものだから、道場を開いて武士を集めて剣術を教えるわけですね。剣術を教えるとなると、竹刀をそろえたり、いろいろ道具をそろえたり、ルールをきめたり、いろいろやっていきます。それは当然ですね。しかし宮本武蔵はそれを否定するんですね。こんなことやってもしょうがないんだ、いたずらにそんなものやってもふぬけになるだけで、けんかには勝てない、と。で、剣で一人対一人の戦い方は、実は軍隊どうしの戦にも適用されるし、政治そのものにも適用されるんだというふうに書いてるんですね。宮本武蔵は、連戦連勝で誰にも負けたことがないからすごい自信を持っていて、説得力があるわけですよね。それが日本の思想史の中でどれぐらい影響力を持ったか、私もわからないですけれども、たぶん江戸時代に、支配的な人たちをずいぶん規定した考え方ではなかったかと思うんですね。(ここから、勝てば、あるいは勝つためには何をしてもいいんだ、という考えた方が出てきたんじゃないかと思います。旧日本軍の戦争の仕方を思い出しますね。よけいなことですが。)
 で、アマチュアリズムが発達しなかったということは、ひとりひとりの自由とか人権とかが尊重されないことに通じるし、今の日本の障害者の置かれている状態につながってるんじゃないかと考えるんです。まとまらなくて非常に申し訳ないんですけれども、後でいろんな質問を受けるということで、一応私の話は終わります。

(2000年2月南葛飾高校で話したこと)