2007の活動について

■ DIP:ディサビリティー・インクルージョン・プログラム 海外研修報告

 青海恵子

9月17日~20日までの4日間、バークレーのCILでDIP研修を受けてきた。その概要を報告をしたい。

CILバークレーの歴史と提供しているサービスについて

街の様子

 私たちが宿泊したホリディ・インはバークレーの郊外、CILは町の中心部、私たちは毎朝バスで通った。私たちを迎えてくれたのはCILバークレーの所長、ジャン・ギャレットさん。笑顔のすてきなチャーミングな女性だった。かの乙武くんと同じ障害で、肩で器用に電動車椅子を操作していた。

 ジャンさんはまずこう語った。アメリカでは、ADA法に基づいて、障害者に職務を遂行する能力があれば、雇用の義務、昇格の義務、必要な合理的配慮提供の義務がある。「合理的」の内容は交渉で決定され、大企業ならば、一万ドルの整備は無理だが、二・三千ドルのソフトの購入なら合理的と考える。雇用者を対象にして、障害を認識させるウインドミル・プログラムもあれば、連邦政府のジョブ・アコモデーション・ネットワークもあって、合理的配慮の実践例を収集して情報提供をしている。

 DIPの第一ステップは、様々な障害の実際と、神話を取り除くこと。

 第二のステップは、統計的に見て、社員として障害者は欠勤率が低く、職務の継続率も高いことからも、信頼できる社員であることを認識させ、その価値を維持し、高めるために良い労働条件を雇用する側が用意する必要があることを示す。

 第三のステップは、法律の原則について雇用者を教育すること。例えば、フレキシブルなタイムテーブル、新しい机など、合理的な配慮は、同じ土俵に乗せるための施策だと同僚や上司が理解していれば、反感を免れることができる。

 CILでは、こうしたことのために、同僚への研修を行っており、人事部への研修も考えている。特に大企業の人事部は、健康保険、合理的配慮の書類作成等を行う際に、障害に関する多くの知識が必要になる。

CILの歴史

27年CILで働き、日本とのかかわりも深いジェラルドさんが、突然、目が見えなくなった個人史を交えてCILの歴史を語った。

 CILは1972年に設立。カリフォルニア大学バークレー校にエド・ロバーツという重度の障害者が入学。当時は障害者の住める学生寮もなければ、大学に学習支援もなかった。最初は病院の病棟から通学したが、本人が母親と一緒に連邦政府に基金を申請し、その結果カリフォルニア大学に視覚障害者や車いすユーザー、介護者に使用される給付金制度ができた。大学で学習する基盤はできたが、大学卒業後のサポートがないことに気づいて団体を作り、卒業後に地域社会で必要なサポートを受けられるように運動を始めた。これがCILの前身である。当時は、例えば段差がある、リフト付きバスも職業も、アクセスできる家も、基本的なサポートを提供するところもない。その結果、実家か施設に入るしかなかった。

設立時の三つの理念は、1、必要な介助サービスを整備し、施設から地域社会で暮らせるようにする、2、権利擁護を地方、州、国家レベルで行い、直面するバリアを解消する、3、一般社会への教育啓蒙活動、だった。

障害者も自立して生活できること、一から十まで介助しなくても良い、施設に入らなくても良いと一般社会を啓蒙し、障害者には権利があること、つまりは教育の均等、雇用の機会の権利、成功しようと失敗しようとやってみる権利があることを教育することからスタート。

 当時、市と共同して行ったのは、段差解消で、その結果、車いすユーザーだけでなく、ベビーカー、カート、犬や猫、スケボー、皆にとっていいことだと気づかせることができ、このプログラムは全米に広がった。

 連邦の寄付金を受け取っている機関はすべて障害者を差別してはならないというリハビリテーション法504条が連邦通過(1973年施行)。しかし、当時、行政のスタッフの中に障害者がいなかったため、どう導入すればいいのかわからなかった。CILはリハビリテーション法504条の教育機関として選ばれ、79年までに職員が200人に増加。当時の年間予算は320万ドル(約4億円)で、80年代の不況で連邦基金はカットされたが、多くの事業を進めていたのでプログラムを維持することができ、現在は職員が52人、年間予算200万ドル、年間2000人の障害者にサービスを行っている。基本理念は自立して生活することだが、これは実家を出るか否かではなく、あくまでも自分が何をしたいか選んで決めること。

 大事なのは自らの権利を自ら擁護できること。例えば、会議出席の際に、四肢麻痺の人が自分のできないことを会議主催者に自分のニーズとして伝えること、視覚障害がリーダー(代読)の必要を主張できること、それが自立である。

 権利擁護に関してCILは大きな役割を果たしてきた。そのおかげで様々な法律が制定され、ADA法もその一つだ。

CILバークレーのさまざまなサービス

バークレー

CILとは、自立生活センターのことで、「自立」には当然ながら、さまざまな要素がある。それらにきめ細かく対応するサービスがそろっている。居宅介護事業、目の見えない人へのガイドヘルパーの紹介と派遣、盲や聾の方への就労支援、財政支援に関するカウンセリング、住宅サービス、障害者支援プログラム、多文化教育支援プログラム、アジア人支援プログラム、ピア・カウンセリング、若者支援、アシスティブ・テクノロジーの情報と紹介。これらの事業を地域のNPOや州あるいは市の行政機関との連携で展開している。

たとえば、就労支援では州のリハビリテーション課との連携、アシスティブ・テクノロジーでは障害者個々人の状態に合わせてアシスティブ・テクノロジーの相談や提供をしてきたNPOとの連携など、それぞれにさまざまな機関やNPOと協働している。

チケット法

CILのサービスやプログラムのディレクターのミーブさんは、障害者雇用の権利擁護者として国や州の法律に詳しい。その彼女が話してくれたのは、障害者の雇用を引き上げようと、新たにつくられたチケットという法律。統計では、アメリカの障害者の失業率は75%、一般の人は7%である。障害者の雇用が進まないのは、就労して収入を得ると、最低限の保障がなくなるという不安感が障害者にあるからだ。チケット法は、簡単に言うと、就労しても一定期間、連邦政府からの給付金が減額されたり、国の保険制度(メディケア)の対象から外されない、というカリフォルニア州の法律である。この制度が使われていないのが問題で、その要因はこれを扱う社会保険事務所の知識レベルの格差にある。

サポーテド・エンプロイメント

 NPOの「イースト・ベイ・イノヴェーション」は発達障害の人たちの求職をサポートし、職場にジョブコーチを派遣して就労を援助している。成功例の一つとしてシンシナティ子ども病院がある。障害のある人をERで雇って成功し、プロジェクトサーチという新しい雇用システムを開発した。病院のルーティンワークの離職率は高い。仕事の継続率を高める目的で発達障害のある人を雇用した。消毒、保育器の掃除、手術用具の整理、様々な棚の管理、給食室の管理、歯科関係の器具の管理。ジョブコーチが病院の仕組みをよく知っていたことと、病院には障害のある人を知っている人たちが多かったので成功した。病院にとってはよいPRになった。

 生まれたばかりの子供にダウン症があることを知ったお母さんが、同じダウン症の人が実際に仕事をしている姿を見て、「かわいい赤ちゃん」と、自分の子どもに対する見方を変えたという。

 こうしたプログラムは90年に始まり、80カ所以上で行われている。プロジェクトサーチの大事な点は、「心を開いて思いこみを持たない」、障害ではなく、どんな仕事をしたいのか、どんな仕事ができるかに焦点をあてる。

 ゴールはビジネスの成功なので、発達障害者を仕事に送り出すことが、受け入れる側にも有益でなくてはならない。それが成功すれば障害者に対する考え方も変わる。

カリフォルニア州 リハビリテーション部の就労支援

CILバークレー

 障害があって就労を希望する場合、まずは支援を申請し、アセスメントを受け、支援が決まれば、カウンセラーとともに、就労のためのプランを作る。就労支援のプロセスにおいて大事なのは、本人の姿勢である。どんな仕事を、どのような形態でしたいのか、希望をはっきりさせ、これを受けてリハビリテーション課は希望にあう企業や機関に話を持って行き、マッチングをする。大学とのパートナーシップ・プログラムや、実習を希望する生徒もいるからハイスクールとも協力している。郡の精神衛生プログラムとも協力し、精神障害者就労のため、人間関係のなかで仕事を覚えることが重要だから、ジョブコーチをつける。

障害者雇用のメリット(企業イメージのアップ、税控除など)を強調し、経営者を教育して、求人企業や経営者のネットワークを絶えず組み上げてゆく。そうしたネットワークを駆使して、就労を希望する本人にあった職場を開拓してゆく。申請から就労まで、5年ほどかかる。この過程で必要があれば、CILで研修を受けたり、専門教育を受けるために大学への奨励金 州の就労奨励金、研修奨励金を適用している。

会社のアクセシビリティのチェックシーとや、一般社員や管理職への障害に関する教育プログラムも用意している。障害者を雇用する企業と就職を希望する障害者が集まる就労フェアも開催している。

CILのディサビリティ・アウェアネス・プログラム

 6つのモジュールから成る。1、障害を知る、2,言葉遣いやエチケット、3,障害者雇用の法的要件、4,合理的配慮、5,アシスティブ・テクノロジー、6,研究機関と資料。
1のエクササイズでは、障害に関する連想や想像から、思いこみやステレオタイプに自ら気づかせ、恐れがあったら、それを取り除いてやる。
2では、同じ人間としての常識を働かせて、障害者に接することを教える。ここら辺はフットルースの得意とするところだ。
3、4は障害者差別を禁止するADAに準拠した障害者雇用と合理的配慮とはなにかを教える。
5,はアシスティブ・テクノロジーの紹介と情報、7は、研究機関と資料に関する情報。 これらのモジュールを使って、目的に合わせてプログラムをつくる。

毎日、たくさんの情報に触れ、具体的に、これは日本ではどのサービスにあたるだろう、と考えていた。サービスとして日本で行われていないものは、それほどないような気がした。決定的な違いは、障害者団体としての専門性がきちんと評価されて、行政機関の対等なパートナーとして遇されていること、さまざまなNPOとのネットワーキングのあり方だろう。

こぼれ話を一つ。ある晩、みんなでイタリアン・レストランに行ったとき、見覚えのある後ろ姿に気づいた。昨年のプログラムの参加者の一人、トニーだった。まんなかあたりのテーブルにいた彼のもとへ、KさんとOさんを派遣。こんな偶然ってあるんですね。トニーは帰り際に連絡先を教えてくれ、私たちはフリーな一日をトニーの案内でカリフォルニアバークレー校をまわり、エド・ロバーツから始まった大学の支援の実際、大学の寮で行われている介助の支援の担当者から貴重な話を聞くことができた。